取扱い作家

野口 弥太郎 Yataro Noguchi

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「ヴィエンヌ風景」 油彩・キャンバス 1933年作 仏8号F (38.1×46.1㎝) 独立美術協会第3回秋季展出品作

 

東洋・西洋から解き放たれ新境地を開いた、近代日本洋画を代表する画家の一人

野口 弥太郎 Yataro Noguchi

日本芸術院会員、独立美術協会会員、国際形象展創立同人。戦後のパリで活躍し、マチスやルドン、ヴラマンクなどパリでフォービズムの洗礼を受け、日本の風土から生まれた「自由なる境地」を拓いていった。

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「ポルトガルの海辺」 油彩・キャンバス 3号F(22×27.3㎝)

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「サントロペ」 油彩・キャンバス 4号F(24.3×33.4㎝)

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「那智の滝」 油彩・キャンバス 1972年作 6号F(40.9×31.8㎝)

 

 

野口 弥太郎 略歴

1899年
現在の東京都文京区本郷に父・野口彌三、母・信の長男として生まれる。

1911年
諫早(長崎)の小野尋常小学校へ転入学、約半年間父の実家である諫早で田園生活を送る。

1920年
関西学院中学部を卒業後、画家を目指して上京。

1922年
9回二科美術展覧会に「女」が初入選。

1924年
11回二科美術展覧会に「少女と静物」「夏日夕景」「室内裸婦」の3点が入選。

1926年
1930年協会会員となる。

1929年
渡欧記念の野口彌太郎洋画展覧会で作品51点を展示。渡欧。夏にグランド・ショミエール研究所に学ぶ。「女の顔」を制作。

1930年
サロン・ドートンヌに「二人女性像」「カーニュ・スル・メール風景」が初入選。

1931年
サロン・ドートンヌに入選した「港のカフェ」がフランス政府買上げ。

1932年
43回サロン・デ・ザンデパンダンに「城門」と「女」の2点を出品。

1933年
帰国。二科会から独立美術協会へ移る。独立美術協会第3回秋季展に「ヴィエンヌ風景」「フレンチカンカン」「リヨンベルクール広場」を出品。

1941年
夏、上海に赴き「上海」「黄浦江」「ガーデンブリッヂ」「上海の少女」「仏蘭西祖界の眺」などを制作。

1943年
満州(中国東北部)に旅行。新京(長春)、哈爾浜(ハルビン)などを廻る。

1945年
長野県南佐久郡田口村に疎開。代々木の家が戦火で全焼。作品約500点は焼失。終戦後、軽井沢に疎開していた両親は、郷里の諫早市に隠棲。この頃から野口は毎年のように長崎に赴く。

1947年
1回美術団体連合展に「漁村(江之浦)」「江の浦風景」を出品。

1949年
1回日本アンデパンダン展に「長崎の港」「若い女の肖像」を出品。

1953年
国立公園絵画展に「雲仙」を出品。日本大学芸術学部教授となる。

1955年
東京日本橋高島屋で開催した野口彌太郎展に「雲仙」「農家の庭」など作品35点を展示。

1957年
現代日本水彩画展(ニューヨークで開催)に「船出」(4部作)を出陳。

1959年
27回独立展に「諫早の眼鏡橋」を出品。鳥海青児との2人展を神奈川県立近代美術館で開催。

1960年
30年ぶりに渡欧。ヴェニスに滞在してパリに赴きレヌワール通りに画室を定める。

1961年
春、スペインに旅行。パリで個展を開き油彩・水彩43点を出品。再びヴェニスへ赴く。

1962年
渡欧作100点余を携えて2年ぶりに帰国。春、国際形象展が組織され同人として参加。

1963年
東京銀座松屋で野口彌太滞欧作品展に作品42点を出品。

1964年
15回記念・選抜秀作美術展覧会に「セビラの行列」が選抜出陳。第5回毎日芸術賞(昭和38年度芸術部門)を受賞(「セビラの行列」と野口彌太郎滞欧作品展の業績による)。第3回国際形象展に「長崎の山々」を出品。

1965年
8回日本国際美術展に「長崎の情緒」を出品。

1967年
9回日本国際美術展に「長崎の風(風神)」を出品。

1968年
大阪厚生年金会館大ホールの緞帳「ヴェニスの夕映え」が完成。秋、諫早市体育館の緞帳「諫早の眼鏡橋」が完成。

1970年
バリ島に旅行。野口彌太郎展が神奈川県立近代美術館、長野県立美術博物館で開催。3度目の渡欧。

1972年
台湾に旅行。紺綬褒章を受章。諌早市民センターに有田焼の陶板壁画「有明」が完成。第11回国際形象展に「那智の滝」を出品。

1973年
23回芸術選奨文部大臣賞(美術部門)を受賞(前年度発表の「那智の滝」による)。4度目の渡欧。モロッコへ取材旅行。タンジールに滞在し、「モロッコ(カスバの人々)」を制作。

1974年
長崎市民会館正面玄関に陶板壁画「長崎の山々」が完成。

1975年
横浜市の神奈川県民ホールの緞帳「映光」が完成。近代日本洋画の巨匠展に「パリの眺め」を出陣。勲三等瑞宝章を受章。日本芸術院会員となる。

1976年
長男一太郎と桜島写生旅行の帰途、諫早市小野の自邸に一泊して鎌倉に帰宅。323日逝去。正五位に叙せられ、天皇陛下から祭粢料を下賜される。遺骨は諫早市小野町の野口家墓所と鎌倉市浄妙寺に埋葬。

1977年
野口弥太郎先生をしのぶ遺作展が長崎県立美術博物館、諫早市体育館で開催。

1979年
-天成の画家の全貌 没後3周年記念-野口彌太郎展が神奈川県立近代美術館、長崎県立美術博物館で開催。

1980年
諫早文化会館の陶板画「諫早の眼鏡橋」が完成。

1988年
没後12年記念 野口彌太郎遺作展が長崎県立美術博物館で開催。

1993年
長崎市野口彌太郎記念美術館が開館。

1996年
没後20年記念 野口彌太郎名作展が野口彌太郎記念美術館で開催、第63回独立展が長崎県立美術博物館で開催、野口彌太郎と独立長崎の作家たち(野口彌太郎没後20年記念)が諫早文化会館で開催。

2015年
諫早市制施行(合併)10周年、諫早市美術・歴史館開館1周年を記念して、-ふるさと諫早を愛した画家・近代絵画の巨匠- 野口彌太郎大回顧展が開催される。

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